利守+良守



 将来の夢だと。
 黒板に担任教師がチョークでかきつけた言葉を目にした利守は腹の中で毒をはいた。
 はぁ、そんなことを作文にかかせてどうするんだ?なんだ、書くと叶うのかその夢が?そりゃそういう人もそういう夢もあるだろうさ、でも、どう頑張っても努力しても叶わないと身をもってわかっている夢を400字詰め原稿用紙三枚以上五枚以下にまとめるという作業は苦痛だろう、子供にそんな過酷なことさせるのが教育か、どうなんだこのおとこやもめめが。
「そしてショタコンめが」
 この担任が体育の授業中、うっとりと自分の膝小僧を眺めていることを利守は知っていた。
「墨村くん?」
「いえ、原稿用紙、あったかなぁとおもって」
 利守の、とうていこどもとは思えない鋭利な笑顔に気の小さい男寡はびくびくと教卓をゆらした。
「そう、もしなかったら…」
「放課後に購買に寄っていきます」
「あ、うん、そうしてください」
 いかん、無益なものをビビらせてしまった。利守は反省と謝罪の意味合いをこめて担任教諭に「子供らしい笑顔」で笑いかけてやった。
「はい、そうします」
やもめ教師はほっと息をつくと、明日からの連休にむけて出す宿題の説明にもどった。

 やらなければいけないことは先にやっておく。利守はそういうタイプの子供だったので、連休初日の夜にさっそく原稿用紙にむかっていた。自分にあたえられた部屋にこもるよりも茶の間のほうがはかどるので、利守は宿題や勉強はこの家族の食卓にもなる大きな机でするのが常だった。
「将来の夢ねぇ」
 この場合の夢というのは、漠然とした憧れやふとしたはずみに抱く情動の内容を問うているのだろう。たとえばワールドカップの中継を見て、宇宙の広さを望遠鏡のむこうに見て、こみ上げた心のうちをゴクヨの原稿用紙に書き記せと。そういう宿題だった。
 さて、幼少期よりこれまで自分はそんなものを持ったためしがあっただろうか。
 利守はちらりと机の下に視線をおとした。利守の座るすぐ横には次兄がふたつおりにした座布団をまくらに熟睡していた。歳のわりには子供っぽいところが多く、菓子作りの腕もあいまって級友たちから絶賛される兄だ。
 この兄の夢はお菓子の城を作ること、だ。
 良守の寝顔を見おろす利守の胸のうちに、またむかむかと怒りがわいてきた。昼間うっかり教師相手にぶちまけかけた怒りだ。なんで大人はこうも無神経なのだろう。子供の心は夢いっぱいでぴかぴかと輝いていると何でああも疑いなく思い込んでいられるのか。
 そんなアホで無神経なおとなに、この兄も同じような課題をだされたことがあっただろう。
 長兄もまた。
 利守はまなうらが痛くなるほどのいきどおりをため息で散らした。
「よしにい」
 生まれたときからあの土地にその身のまるごとすべてを望まれたこの兄に、どんな将来の夢か。
 あるいはちいさな痣ひとつのあるなしで適わなかった長兄の望みを、それらを生まれたときから端で見ているだけだった自分に、いったいどんな将来の夢をえがけというのか。
「良兄、おきて、風邪引くよ」
「んうぅー…」
 利守が肩を揺すると良守はもぞもぞと机の下にげるように背中をまるめた。それでもしつこく働きかけると、良守はむっすりと眉をしかめながらも目を開けた。
「ぅー……、なに?」
「起きた?こんなとこじゃ身体は休まらないよ。ちゃんとお布団で寝なよ」
 良守が眠たいのはいつものことなので、兄の機嫌の悪さは意に介さなかった。
「あー…うん」
「うんって、そういいながら座布団抱えないでよ、寝る気まんまんじゃん」
「んー、いいんだ」
 良守は抱えた座布団のかわりの座布団を念糸でたぐりよせると、またふぐふぐとふたつに折ったそれに頭をフィットさせている。
「いいって、なにが」
「ここでいい」
 利守はいまにも眠ってしまいそうな兄の顔を真上からのぞきこんだ。
「良兄ぃ?」
「俺はいいから利守、はやく宿題やっちゃえ」
 そういうと良守はぐるりとこちらに背を向けて丸くなってしまい、利守はそれ以上声をかけられなくなってしまった。
 きょうは父も祖父もまだ帰っていない、いつもはなにやかやと騒がしい家は珍しくもしんと無音だった。常ならば言われなくても自室の布団でねむる兄がここにいることとそれは関係あるのだろうか。
 利守はしばらく規則正しく上下する次兄の背中を眺めていたが、じわじわとこみあげてくる笑みに視線をそらした。
「良兄って、タチが悪いよね」
 正守も苦労するだろうなぁ。
 利守はようやっと前向きに宿題の内容を検討しにかかった。
 


2007・06.08
切れ切れにかいていたらなにが書きたいのか忘れてしまった。たしか最初に思いついたときは利守が医者になると心に決めていたような。